大阪きづがわ医療福祉生活協同組合 Osaka-Kizugawa Health Co-operative Association

シリーズ医福食住 2018.09.12

二度と戦争する国にしない!
未来のため私たちが平和のバトンをつなぐ

 終戦から73年をむかえる8月、組合員の嶺井正繁さんが戦争体験を語ってくださるという事で、取材に行きました。嶺井さんからは、1944年10月10日の沖縄空襲のお話や、400トンの船で12日もかかって沖縄から鹿児島に行ったお話、疎開先で差別されたお話、機銃で撃たれたお話、食糧難のお話など、たくさんの辛く苦労された経験を語って頂きました。嶺井さんは当時小学校の低学年だったそうですが、今でも、鮮明にいろいろな事を覚えておられるそうです。また、自分が戦争の事を覚えておられる最後の世代じゃないかなという事もお話されていました。

日本国憲法の平和主義を伝えていくことが私たちの務めだと思いました
 私が、嶺井さんのお話を聞いて感じたことは、やはり憲法は守らなアカンという強い思いです。それは、戦争をしないためにです。結局戦争は、人と人の殺し合いです。沖縄戦で嶺井さんは小学生なのに、機銃で狙われました。嶺井さんの切り抜きの記事を見させて頂くと、赤子が豪で餓死した記事がのっていました。こんな悲惨な戦争があったからこそ、今の日本国憲法があることが改めて理解できました。私たちは、この尊い憲法を真剣に守っていかないといけません。なんか時代にあわないからとか、押しつけだからとかで変えてはいけないと思います。日本国憲法の平和主義を地域や職場やつながりに伝えていくのは、私たち若者の努めかなと思いました。まずは、家族全員で沖縄に行き、豪を見に行く事をしたいと思います。

編集委員 竹中 朗

平和の尊さを伝えていくことがとても重要だと思いました
 当時のこと思い出しながら語ってくれた嶺井さん。軍人に食べ物をいつも持って行かれお腹を減らしていたこと、何度も空襲や機銃掃射で命の危険にさらされたこと、故郷の島から見えたアメリカ軍の艦隊が海を覆い尽くす場面、疎開先でのいじめ。「あの時のつらさは言葉にできない、本当につらかった。」という嶺井さんの言葉がとても印象的でした。平和の尊さ、そしてその平和を守るために憲法を何が何でも守らなくてはならないという強い想いが、嶺井さんのお話から伝わってきました。戦争を体験した方がどんどん少なくなっていき、平和の尊さを感じることが難しくなっている現在。私達がこの想いのバトンをつないでいくことがとても重要だと感じました。

編集委員 田路 耕平